岩海の下半分は雪で覆われており歩きやすい。
岩海から上山市内を俯瞰。
三吉山から葉山へと進む。
熊ではないようだが何の足跡だろうか。犬よりも少し大きく爪跡がはっきりしている。
葉山が目前というところで雨がぱらついてきた。スノージャケットではなく合羽を羽織ってきたが、本降りになる前に下山する。足腰のトレーニングにはなりませんでしたが、心肺機能に少し負荷をかけられて良かったということにしましょう。
(山岳宗教史研究叢書7 東北霊山と修験道 月光善弘編 第五編 朝日連峰と山岳信仰 渡辺茂蔵著 P446転載) 上図を見れば朝日軍道は主稜線上にある修験道をそっくりそのまま利用したということが明確にわかります。 さて、隆盛を極めた朝日修験が衰亡したのはどう言う理由からか。これについては山伏が山賊化したため時の執権、北条時頼により千年封じの弾圧を受けたとされていますが、「実は羽黒修験たちが、朝日修験の方が盛大になると、羽黒修験の方に大きな影響を与えて衰頽をまねく、という危惧から朝日修験を弾圧させ・・・」「朝日岳の隆盛は、湯殿山繁栄のじゃまだとして、そこに修験一流の暴挙が行われたと見ても大過はあるまい」(修験の山々. 柞木田竜善著. 法蔵館 )という記述を目にした時に、そう言えば隆盛を極めた瀧山信仰も北条時頼により弾圧され、多くの院や坊が跡形もなくなっているということを思い出し、なるほど瀧山もそんな理由で衰頽したのかと納得したのでありました。 天地人効果で軍道が脚光を浴び始めた中で敢えて修験道を歩きたいなどとまたぞろ天邪鬼が騒ぎ出し始めたので、記事にしてみました。