小山田新道(岩崎~県境稜線)
小山田新道(猪野沢新道)
~岩崎から県境稜線~
2010/11/14 |
1/25,000地形図(天童・関山峠) |
割合道幅の広い道を暫く歩いていると道は左に折れ、本ルートである直進方向は背丈ほどの藪に覆われている。初っ端からこうでは先が思いやられる。
藪漕ぎにも少し飽きてきた頃、ポンと突然刈り払いされた道に飛び出る。林業の為の刈り払いのようで比較的新しい。時間の短縮にもなるのでラッキー。
樹間から面白山。
暫く続いた南西斜面のトラバースから地形が変わり、目の前の尾根の左側を巻くようにルートが記載されている。ここで踏み跡の薄い本ルートを見逃し幅の広い作業道に引き込まれるが、SONEさんが藪の中にルートを見つけてくれる。こんなところに迂回路が切られている訳はありませんでした。(^^; ここからルートは北東斜面のトラバースで、時折現れる沢筋は全て道が崩れ落ちており、落ち葉が堆積した傾斜のある沢床の岩盤を滑らないよう渉る。
やがて左手に船形連峰が見渡せるビューポイントが。
ここからの藪は灌木が谷側に倒れるように伸びてきており、通過するのに潜ったり跨いだり、持ち上げたりで体力を消耗させられる。
山形県側最後の水場の「水分」。沢の護岸の石組みがなされている。往時はここに橋が架けられていたそうだ。
「水分」の地名について興味深い資料があるとSONEさんに教えて頂いた。
「宮城山遊び山語り-蔵王・二口編-」(深野稔生著)の「発見!北面白山の争奪地形」の章に、この「水分」地点は二つの沢が流路を争奪している面白い所だと記載されている。詳しくは下の地形図をご覧になると良く解るが、地形図的には大きく緩やかな沢の方に水線が入っているように見えるが(点線の水線。現在は涸れ沢)、実際は右に小さく食い込んでいる沢に水路が付いており滝となって流れ落ちている。このような河川の争奪と言う特殊な地形の為に昔から「水分」と呼ばれていたのではないかということである。
難しい話はこの位にして、ここから県境までもう少し歩く。
面白山がすぐそこに。万歳三唱をして戻る。
写真のように県境稜線山形側のトラバース道はまだまだ北に続く。このような山中に私財を投じて道を切った小山田氏の偉業がこのまま廃れるのは残念でならない。
水分に戻って昼食タイム。途中の刈り払いが時間に余裕を生んでゆっくり休む。
帰路は藪漕ぎを避けるために猪野沢川沿いの林道を利用しようと、途中から斜面を下り林道の突端に出る。歩きやすい薄藪。
沢を渡渉するとしっかりした林道になる。
下りてきたカラマツ林を見上げる。
林道途中に双間滝橋があり、下には見事な滝が。
出発から7時間半で新道入口に到着。奥新川までの小山田新道の未踏部分は今後の宿題となった。
帰り道、山形市和合の十一蕎麦をすすってから解散。皆さまお疲れ様でした。
※ 藪の状況でコースタイム等は大きく違ってきますので敢えて記載しておりません。片道10km藪道です。もし踏破される場合は全て藪漕ぎだという覚悟で入山して下さい。読図力は必須です。
先週に続き、お世話になりました。
たまには藪こぎも楽しいですね。本来の病の傾向とはずれていますが(笑)
竹の子藪の平行移動ができない急斜面藪に比べたら天国、と感じてしまった
あたりもう危険??
@あかねずみさん、お晩方です。
クロヅルやいばらの密藪だとどこまで進めたかわからないけど、まだ前に進めるだけ楽でした。
賑やかだったのも楽に感じた要因では?独りの藪漕ぎは挫けそうな心との戦いになりますので。
またまた、魅惑の山形路。噛めば噛むほど味が出てきましたよー。
飲み込んでしまうには惜しいくらいの先人達のルートでした。
お目目は、なぜか北側方面と北面白山北西の鋭鋒に飛んでいました。
おっ家内には、ツルウメモドキがいっぱいあるからと連れてきたのですが…ヤマブドウ五粒で我慢させましたよ。
@マロ7さん、お疲れさまでした。
全長27Kmの新道のまだ1/3しか歩いていないんですよねぇ。北側にはまだまだ2/3の未踏ルートが横たわってます。宿題が増えますなあ。
おっ家内さんにはちと辛い山行だったかしらん。
藪漕ぎは楽しいですねぇ(笑)
密藪をどの様に突破するか? 課題を克服する楽しみを味あわせてくれる好ルートでした。お誘いくださってありがとうございます。
最後のコーションなくても、我々の後を追う変わった岳人はほとんどいないでしょうね(爆)
@SONEさん、 おはようございます。
色々とお世話になりました。
今回は北西斜面の谷川にしなだれかかる灌木藪漕ぎがボディブローのように効きました。
最後の文章、実は我々と同じ病いの方に歩いてもらう事で少しでも薮化にストップがかかればという微かな希望を込めておりました。
みいらさん お世話様でした。
先週に引き続いて大変珍しい所をご案内いただきありがとうございました。
藪漕ぎ名人のおかげで楽をさせていただいたことにも感謝です。
それにしても、この道を復活させたり、小山田理兵衛を顕彰したりということは無いのでしょうかね。このまま歴史に埋もれて行くのでしょうか。少し寂しい限りです。
@morinoさん、お世話様でした。
こうやって皆さんのブログで報告されたおかげで、山形新聞を読んでいない他県の方々にも多少なりとも認知されればと期待しております。
奥新川まで歩いて、もう一度光を当てたいですね。morinoさんも如何ですか。(^0^)
お付き合い頂きありがとうございました。
ほとんど藪道でしたが、藪をやっつけながら歩く先頭の人たちのおかげ、後ろをただついて歩いて楽させていただいて、それほどたいへんな思いをせずに歩き通すことができした。
あんな石を馬で運んで積むなんて昔の人はすごいですね。
@ebiyanさん、お晩です。
昔は生活道路だったのでしょうね。材木も運んだそうだし。
県境に取りついたところからまだまだ北に伸びている小山田新道を写真に収めようとしたら、薄藪が「おいでおいで」してたような気がしました。
お世話様でした。
今回は、本当にお世話になりました。
ほとんど後ろをついて歩いただけなのに、翌日は筋肉痛に悩まされましたが、とても充実した山行になり、大満足。
先人の足跡を少しでも後世に残していくためにも、こういった記録にはとても有意義なことだと思います。
また、ご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。
@ひろさん、 お晩方です。お疲れ様でした。
一番しんがりを締めて頂いて恐縮です。後ろ程急がされるのでキツかったかと思います。
今回ご縁がありましたので、ぜひまたご一緒致しましよう。小山田新道の残りのルートも待ってます。
初めまして。
ブロ友のokusanの紹介で来ました。
色んな人から歩いてもらって、少しでも足跡が残るといいですね~
先任のご苦労が伺われる峠道でした。
@トシヒコさん、お晩です。
初めてではありませんよ。丁の真室川口調査の時とか、小山田新道の歴史のお勉強の時とか、時々コメを頂いております。^^
行って来られましたか。トシヒコさんも相当に物好き・・・おっと失礼!、好事家ですねぇ。^^
良くまあ、私財を投じて切ったものだなあと感心しますよね。二度も歩こうとは思いませんが、宮城県側にも道形がありますので、そちらも一回は歩かないといけないかなあとは思ってますよ。^^
またお越しください。(^_^)v