【追記】注連石(すみいし)について

今年の5月6日に行ってきた「注連石(すみいし)」についての大変貴重な情報を頂きましたのでお知らせします。

図書館で文献探しをしておりましたが、記述が全くなく八方ふさがりとなっておりました。 資料がなければあとは言い伝えしかないということで、地元の酒田市教育委員会文化課にすがる思いで問い合わせたところ次のような回答を頂きました。 ・注連石は、「注連石権現」として祀られているとのこと。《権現》と はすなわちカミ・ホトケの別なく祀るという意味であり、したがって明治の神仏分離よりずっと前よりあったことは推測されるが、しかし、言い伝えの文書 なども確認できず、詳しい謂れは分からない。 ・この場は山伏の修験場だったとのことで、およそ次のルートで修行した。  【注連石権現で修験 → 新山権現、相沢大権現で修験(旧平田町地域にあり) →鷹尾山】 ほかにも鷹尾山に至る経由ルートがあったと推測される。 ・ 「川南の羽黒」に対して「川北の鷹尾」という言葉がある。 ・ 石の周辺に剣があるが、昔、その周辺で砥石が取 れ、これで剣を磨いたとのこと。 ・鬼のカケハシについては良く分からないが、鬼の語源は「隠れる」という意味がある。  参考までに、辞典などを見ると「鬼」の字がつく地名には「離れた、隠れた」と いう内容が多いようだ。一例として宮城県の鬼首(おにこうべ)は「オニカベ (隠壁)」→「隠れた崖山の地」を指すという説を紹介する記事があった(日本地名辞典 新人物往来社)。 ・ 目に見えないものを指すことがあるそうだ。ま た、「鬼」という字の読みが「オニ」ならば江戸時代以降に名づけられたのではな いか。 それ以前は「オン」と読んだ。もっとも、同じ漢字 の読みが時代とともに変わることもあるから、実際にいつ名づけられたの かまでははっきりしない。 以上、地元の信仰・宗教にお詳しいF様からのお話しとのこと。  ご丁寧にも、F様の連絡先と、以前旧八幡町広報誌に紀行文が載ったことがあるとのことでPDFまで頂きました。 1986年8月「広報やわた」302号 http://inage.raindrop.jp/wbs/images/sumiisi.pdf F様、酒田市教育委員会文化課の方にはこの場を借りて再度御礼申し上げます。 なお、連石周辺は遭難事故が多く、ちょっとした油断が大事故につながる恐れがあるので、登山される際は十分に注意の上、無理はしないようにお願いいたします。皆さんで情報交換される場合はそのこともお伝えくださいとのことでありました。   なんとかつて観光パンフレットに載っていたとは驚きである。 さて「川北の鷹尾」というと現在酒田カントリークラブゴルフ場になっている鷹尾山か。 なになに「隆盛を誇り庄内地方に一大勢力を持っていた鷹尾山宝蔵寺は上杉景勝によって一山ことごとく没収された」? 新山権現、相沢大権現ってどこだ~? またまた興味の範囲が広がってきました。
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  • コメント (35)
    • スズ7
    • 2009年 6月 22日 7:15pm

    なるほど深い意味がありましたな。
    そういえば、山形の地滑りで同じ注連がありましたね。
    こうしてみると、無理しても行けば良かったと我は後悔…(▼▼)
    みいらさん、次に続ける研究ね。(^o^)

    • sone
    • 2009年 6月 22日 9:14pm

    いやはや、未だに注連石の歴史について調べていたとは凄い執念ですね(驚)
    おそらく注連石の修験道は羽黒山派と湯殿山派の宗教対立の末に派生したものと考えていましたが、「川北の鷹尾」と言う言葉の意味からも、その考えは正しい気がしてきました。
    それにしても新山権現、相沢大権現の存在は新発見でしたね。
    当てずっぽうですが、新山権現は弁慶山(耳も含めて)の岩行、相沢大権現は十二滝の滝行と考えると、壮大な周回ルートの修験場が見えてきますね。
    残る鬼のカケハシは、月山に於ける西普陀落の様な存在(鉄分が滲み出る崖)では? と今では思っています。
    そうすれば注連石との陰陽神(仏)の関係が成り立ちます。

    • みいら
    • 2009年 6月 22日 9:47pm

    スズさん、お晩です。

    >こうしてみると、無理しても行けば良かったと我は後悔…(▼▼)

    この辺はまた暫く通う予定ですよ。面白そうなところが山積です。
    晩秋か来春に行きましょうよ。

    • みいら
    • 2009年 6月 22日 10:03pm

    soneさん、お晩です。
    そんなに執念深い方ではないんだけどなあ。相当あっさり系、言い換えればテキトーな人間だと言われております。 :lol:

    図書館では何にも引っかからず、このまま収穫無しに終わるのだけはつまらないかなあと思いまして、土地の民俗にお詳しい方だけでも教えて頂けないかとお願いしたところ、わざわざその方に聞いて下さっての回答でありました。感謝感謝。

    新山権現は現在では里の神社で祀ってるようですが、調べると面白そうですね。このお話をして下さった方が上杉景勝に没収された施設の関係者というのが何やら因縁を感じます。
    実はsoneさんの考えと私の推測が似てまして、案外当たらずとも遠からずか等と考えておりました。
    まあ、勝手なことを考えるのは楽しいですなあ。 :razz:

    • 鯛金
    • 2009年 6月 23日 2:13pm

    うちのお父さんは歴史大好き人間なんで皆様とのお仲間になるには私より夫のほうがお似合いかもしれませんよ。笑 書くと長くなるのだが、このコメント欄でいいかな?(みんなにお知らせします)

    実は黙っていたのですが、(みいらさんがこれほどまでに執念を燃やしてお調べになっていたとはつゆ知らず)先日18日に自然守る会の総会がありました。勿論出席してきましたが、あの御高齢に係わらず元気な会長の池田昭二氏にお会いすることができました。
    この機を逃す手はないとばかりに注連石に登ってきたこと、トイシ沢を遡行し柱状摂理の壁を見てきたことなどをお話しました。立ち話でいきなり質問したのにも係わらず出羽丘陵の多くの山や沢の中から答えてくださった能力にも凄いものを感じました。
    鬼のカケハシとは左側のわずかに水の落ちるあの壁のことを指すそうです。あそこを上がると注連壇(すみだん)に行き着くそうです。上がられたことがあるのですかとお聞きしたところ、壁が凍った時期に鎌のようなアイスなんとかおっしゃいましたのでアイスアックスのことだと思いますが、これを使って実際に登られたそうです。あの御高齢ですから登られた時期は遥かに昔になるわけですが、すでにその頃からアイスクライミングを実践していたことも驚愕の事実でした。(今より寒いかもね)
    池田氏が若い頃は山岳信仰は日常的に話題にされた為に興味を持って出かけてみたのもうなずけるのでした。生き字引であられる氏に実際にお話を聞いてみるのも面白いやも知れません。ただし、年間何百人と来客があるとも仰っておられました。コンタクトが必要かと。

    またまた長くなり恐縮ですが。皆さんまだ観てませんか?映画「剣岳 点の記」いろんな観点から非常に面白かったですよ。困難をめげずに測量する男達が描かれているのですが、そのバックに登場する山岳信仰はリアルで今の時代では想像できない形で出てまいります。出羽三山では今でもやってるのかな?
    またそれに登場する日本山岳会、山登りはただの遊びと揶揄されるものが今やこの山岳信仰にとって変わるブームになっていくわけですから面白いですよね。

    • みいら
    • 2009年 6月 23日 5:04pm

    鯛金さん、こんにちは。
    そうですか、池田さんに直接お話を伺ったのですか。それは良かった。
    鬼のカケハシはスノーブリッジの突き当りの壁ですか。だとすると隠れたカケハシという意味なのでしょうね。注連壇(すみだん)とは剣のあったあそこですね。おっ、もしかしたら須弥檀から来ているのか?

    ところで情報を頂いた昨日から再度調べているのですが、鷹尾山の北の三千坊谷地というところに鷹尾修験の山伏の多くの宿坊があり一大勢力を作っていたそうで、弾圧によってなくなったけれども一部が青沢に逃げ「相蘇」の姓を名乗ったらしいです。
    鷹尾山から十二滝・猪ノ鼻・弁慶山・注連石という一連の山域はとっても興味深いです。

    • 鯛金
    • 2009年 6月 23日 5:27pm

    「須弥檀」と書くんですか?すみません、歴史を知らなくて。
    池田氏が「すみだん」と仰ったのだけは聞きのがしませんでした。あの錆びた宝剣が置いてあった場所しか考えられませんね。あそこで神様と対話できたらなんて、んん素敵ですね。きっと雲の間から光が差して・・・あはは。
    行き止まりの柱状摂理の広場はもう雪が融けたでしょうか?

    その他のことはさっぱり?だす。

    • lison
    • 2009年 6月 23日 6:36pm

    みいらさん、皆さん貴重な情報ありがとうございました。
    オラも皆さんに似て”しつこい”性格なもんで、その後色々調べてましたが、みいらさんの情報で色々おぼろげではありますが繋がってきました。
    やっぱり図書館だけでは難しいですね。
    あんまり長くなるといけないので後で少しまとめてメールします。
    したばの~(^^)/~~~

    • みいら
    • 2009年 6月 23日 7:20pm

    おおlisonさん、ようこそいらっしゃいました。
    繋がってきましたか?それは良かった。メール楽しみにしてます。
    そうそう、リンクしておりました。事後承諾でごめんなさい。

    以前縄文土器復元の仕事をしたことがありますが、発掘の場所全体を碁盤の目状に区分し、どの場所から出たものか一つ一つ破片に番号を付けて、同じ区分かもしくは隣接した区分から、ぴったり合う破片を探して土器を復元していくという作業を行うのですが、今回、民俗収集をしていたら何となく似ているかなあと思い出しておりました。

    • みいら
    • 2009年 6月 23日 7:45pm

    鯛金さん。
    点の記は見たいのですが、山に行く時間もままならないので後回しになりそうです。DVD鑑賞になってしまうかなあ。

    「須弥檀」は「しゅみだん」。仏教の聖地の須弥山(しゅみせん)をかたどった仏像を安置するところですが、須弥石(しゅみいし)→すみいし、なんてか。

    • 鯛金
    • 2009年 6月 23日 9:16pm

    みいらさん、八幡町の広報誌いま読ませていただきました。(別パソコンだとPDFが開けないので)
    観光パンフレットに載ったとは信じがたいですね。山岳信仰が身近にあった証拠だと解釈しても構わないかな?ホント、注連石権現として祀られていたんですね。写真を見ると木で作られた小さな社が写っていますね。我々が登った時は朽ちて無くなり、宝剣だけが残ったということなのでしょう。どんな人がどんなことを祈ったのでしょうか、なんか歴史ロマンだにやあ・・・。

    • 鯛金
    • 2009年 6月 23日 9:29pm

    >新山権現、相沢大権現ってどこだ~?
    のことについて。
    うちのお父さんに聞いてみました。
    新山権現は(にいやまごんげん)と読まないかと。砂越から相沢川に沿って行くと新山という集落があるのだが此処になにかありはしないかということです。
    相沢大権現はわかりません。
    経ヶ蔵に須弥檀岩があるのをご存知ですか?あそこも昔は修験者の地だったそうですが。関連性ないかな?

    • みいら
    • 2009年 6月 24日 9:36am

    鯛金さん、おはようございます。
    観光とはびっくりですよね。恐らく事故が多発したのでアナウンスを止めた為に以後寂れたのだろうと思っています。

    新山権現は仰る通り新山延年舞が行われる新山神社でしょうね。
    経ヶ蔵の覗き岩ですね。多分修験ルートとしてみな繋がってますよ。面白くなってきましたね。

    • 平田町民
    • 2009年 9月 15日 3:47am

    はじめまして。
    三千坊谷地のことを調べていたら偶然このページに来ました。
    ウチの近くのことがこんなに詳しく書かれていて驚きました。

    それにこんな山奥まで入っていくのはとてもすごいですね。

    私も子供のころ、友人と十二滝神社という誰も知らないような神社に行ってみようと思ったことがありましたが、あまりの険しさに挫折したことがあります。
    滝周辺からは見えるのにどうしてもたどり着けない不思議な神社です。

    こう、人が寄り付かなくなった場所に行くノウハウみたいなのがあるんでしょうか。

    • みいら
    • 2009年 9月 15日 9:22am

    @平田町民 さん
    初めまして。ようこそいらっしゃいました。

    注連石というところに行かなければ、庄内にこれだけの修験道があったことすら知らなかったというのが真実です(^^;。行って圧倒されたから調べたというのが正しいですね。ノウハウなどというものは何もなくて、ただ好奇心が強いということでしょうか。 ;-)

    平田町民さんはハンドルネームから旧平田町に思い入れがおありのようですね。
    十二滝の不動堂も鷹尾の修験場の一つだったようです。北海林道というのはもともとは修験ルートのようですね。
    三千坊谷地についての記述は「酒田の伝説と伝承(田村寛三著)」で見るだけでした。近々鷹尾修験について纏めたものをアップしようかと思ってますので、御存知であればどうか御教示頂ければありがたいです。
    今後とも宜しくお願いします。

    • いそたん
    • 2011年 1月 16日 4:23pm

    はじめまして。庄内地方に関して調べものをしていてここに辿り着きました。

    鷹尾山のゴルフ場以外の面を知りたいと思っていたら鷹尾修験があったということがわかって、とてもありがたかったです。

    鷹尾修験について記載がある本など教えて頂けたら幸いですm(__)m

    ご存知かもしれませんが、庄内町の図書館に「鷹尾山胎蔵山両界曼荼羅(未完)」という資料がありました。佐藤清三郎さん(故人)という方がまとめたり調査したりしていた郷土資料のひとつとのことでしたが、鷹尾山を金剛界、胎蔵山を胎蔵界とみなして関係ありそうな地名などを集めている途中までのメモ、といったものでした。

    みいらさんの鷹尾修験のまとめ、大変楽しみにしております!!

    • みいら
    • 2011年 1月 16日 5:46pm

    @いそたんさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

    貴重な情報ありがとうございました。「鷹尾山胎蔵山両界曼荼羅(未完)」ですね。( ..)φメモメモ

    山登りではなく調べ物となると庄内はなかなか遠かったりします(^^;;;。
    実は鷹尾修験についてはしつこくまだ調べている途中なのですが、旧平田町史を眺めていたらご指摘の両界曼荼羅についてさらっと触れてありました。生石の延命寺にマンダラ図があるような情報も聞いておりますが、これはまだ確認しておりません。
    鷹尾修験に関するこれといった文献はなかなか見つかりませんが、山仲間のlisonさんのサイトhttp://www12.plala.or.jp/lison/ では独自の見解も含めて随分詳細に纏めてありました。確認したところ現在は削除されているみたいですので是非お問い合わせ下さいませ。
    今後ともどうぞ宜しくお願い致します。 

    • みいら
    • 2011年 1月 16日 6:03pm

    追伸

    >いそたんさん
    lisonさんから以前頂いた情報ですが、鷹尾山信仰についての初出は進藤重記の「出羽風土略記(宝暦十二年(1762))」、「密峰執行軏」(沙門及秀)に記載があるとの事です。またコメントの中でも紹介しておりますが「酒田の伝説と伝承(田村寛三著)」がありますが該当する記述は僅かです。

    • いそたん
    • 2011年 1月 17日 5:41pm

    ありがとうございました!調べてみます!

    • HiRO
    • 2011年 2月 8日 2:14pm

    平田を駆け回って、地域興しをいます。
    鷹尾山、胎蔵山のお話、面白いですよね。

    北俣の海ヶ沢バス停よりさらに奥に愛沢神社がありまして、
    「当時、白装束の行列が続いていたものだ。
     色んな方言が飛び交い、余目や内陸からも来ていた」と
    聞いています。忘れられそうな修験の山のお話ですね。

    • いそたん
    • 2011年 2月 8日 3:01pm

    >HiROさん

    平田の何かで見たんですが相沢川は昔愛沢川だったはずです。では相沢大権現はその愛沢神社なのではないでしょうか?

    • HiRO
    • 2011年 2月 8日 3:11pm

    私もそう思います。

    • みいら
    • 2011年 2月 9日 8:00am

    @HiROさん、コメントありがとうございます。白装束の行列の話は興味深いですね。

    先のコメでご紹介したlisonさんから頂いてた情報ですが、「密峰執行軏」(沙門及秀)という文献に修験の一つとして、愛沢神社(鷹尾山宝蔵寺は愛沢大権現が鎮守)の末寺を十三日間宿泊しながら廻り、その後7日間断食するという参宮掛宿と言うものがあったそうで、以下の順に回ったようです。

    ・田沢村胎蔵権現 → 相沢権現 → 鹿島大明神 → 道場屋敷村の柴燈護摩 → 十二瀧不動堂 → 中野俣村三五沢の熊野十二社権現 → 五色沢の般若十六善神 → 経ヶ蔵奥の院ののぞき石

    「川南の羽黒と川北の鷹尾」と言われていた通り北海林道をメインに弁慶山地にかけてかなり広範囲に勢力があったようですね。lisonさんは、地理的に近いことから弾圧後は鳥海山の蕨岡修験に移行して行ったのではないか、という独自の視点を持たれていたようですよ。
    ご参考になれば幸いです。
    今後とも宜しくお願いします。

    • いそたん
    • 2011年 2月 14日 11:28am

    ありがとうございます。lisonさんの考え、蕨岡に移行していったというのはほとんど疑いようがないことに思います。

    戦国時代の磐井出館主であり鷹尾山伊氏波神社別当でもあった戦国武将の阿部良輝に関するものにはたいてい「上杉氏と戦って阿部氏は全滅し、鷹尾山衆徒は蕨岡館に移った」と記述されています。

    また、教えていただいた出羽国風土略記にも「蕨岡村の衆徒は鷹尾三千坊の末也といふ事土俗の常談也」と記述があり、その少し後に、上安田にある鷹尾山勝福寺は上杉氏から逃げ延びた鷹尾修験が再興したもので、蕨岡の龍頭寺の傘下である、という記述もありました。

    soneさんが書かれているように湯殿系と羽黒系の対立という構図は時期によって勢力図がだいぶ変動しているような気がします。伊氏波神社がある時点で阿部良輝時代の鷹尾山は羽黒系に属していることが伺えます。当時羽黒別当の大宝寺義氏傘下だったらしいです。ただ、大宝寺義氏は戦国大名化する課程で羽黒修験を軽んじるようになり部下に謀反を起こされているなどなど、その時代その時代の政治勢力図や為政者まで含めて把握しないと理解できないことにちょっと目眩を覚えております(^_^;)

    「密峰執行軏」(沙門及秀)という文献、前回も挙げて頂いたんですが、見つかりませんでした。

    • みいら
    • 2011年 2月 14日 1:35pm

    いそたんさん :

    「蕨岡村の衆徒は鷹尾三千坊の末也といふ事土俗の常談也」と記述があり・・・

    常談ですか。ではlisonさんの推測通りでしょうね。
    皆さまから頂いた貴重なコメントから、当方の拙い山サイトが急にアカデミックになってきました。ありがとうございました。 :grin:

    • いそたん
    • 2011年 2月 26日 5:53pm

    新山神社の延年の舞が「蕨岡延年などと同系統」と紹介されたりしています。踊りの様式などから学者がそう分類しているみたいですが、鷹尾修験の一山だった新山権現の延年舞と鷹尾修験の移行先の蕨岡延年舞が同系統なのは当たり前のことだってことですね。

    • みいら
    • 2011年 2月 28日 2:24pm

    @いそたんさん、こんにちは。

    蕨岡延年の舞と新山延年の舞は同系統ですか。着々と研究が進んでいるようですね。
    私は蕨岡に関しては全く無知なので、まずは蕨岡から鳥海に登ってみようかと考えておりました。

    • いそたん
    • 2011年 3月 4日 5:57pm

    そうですか!山上の大物忌神社まで御神体を担いでゆく道があるそうですから辿ってみると面白いかもしれません。

    先達を旧宿坊の人たちにお願いできればもっとわかることがあるかもしれませんね。

    蕨岡の旧宿坊の人達はほとんどが鳥海(とりのうみ)さんという苗字らしいですよw何でも神仏分離の際に龍頭寺以外全員神道に改宗するにあたってそうしたとか。

    • みいら
    • 2011年 3月 6日 4:06pm

    @いそたんさん、こんにちは。
    湯ノ台コースは歩いているのですが鳳来山までの蕨岡ルートが宿題です。
    昭和8年の鳥海山行記を読んだことがありますが、蕨岡から馬を頼んで駒止から
    歩いたみたいですね。

    「とりのうみ」さんと読むのですか。ちょうかいさんだとばかり思ってました。

    • yuuki
    • 2012年 7月 16日 2:38pm

    はじめまして。自分の名前のルーツを調べているうちにこちらのサイトにたどり着きました。wikiによれば元は鷹尾山にいた山伏で北条時頼においやられ三千坊谷地から青沢地区に住み着いた事により生じた名字との事。僕は札幌の生まれなのですが、僕のルーツであるこの地区の歴史を調べたいと思っています。
    何かおすすめの文献等教えて頂ければ幸いです。
    突然の書き込みと不躾なお願い大変恐縮致しますが、御指南頂ければ幸いです。

    • みいら
    • 2012年 7月 17日 8:59am

    @yuukiさん、はじめまして。コメント頂きありがとうございます。

    自身のルーツってとても気になりますよね。私も自分の姓についてちょっと調べた事があります。
    さて、お尋ねの文献についてはここのコメントに記載してあるものが殆どです。取り敢えず纏めてから放置していたページを期間限定で公開しますので良ければご覧下さい。
    http://inage.raindrop.jp/wbs/?page_id=502

    コメを頂いたいそたんさんや山友のLisonさんの考察などから、青沢に移動した修験者達はその後鳥海の蕨岡修験に移行したようです。紹介したページはその辺りも纏めてから公開しようかと思ってます。

    何か新しい発見等がありましたら是非教えて下さい。今後とも宜しくお願いします。

    • yuuki
    • 2012年 7月 22日 1:10am

    みいらさん
    図々しいお願いをしてしまい大変失礼いたしました。しかしおかげさまで
    自分ではどうしても調べようがなかった事実も知る事ができ大変参考になりました。またまさに僕の祖先に関わる記述がありますます興味を持ちました。是非これからも拝見させてください。
    ありがとうございました。

    • みいら
    • 2012年 7月 23日 9:43am

    @yuukiさん、おはようございます。

    決意が込められた姓なんてとっても素敵ですね。
    またいらして下さい。 :smile:

    • HiRO
    • 2013年 10月 26日 4:50am

    お久しぶりです。
    当時胎蔵山、新山のある平田で働いてましたが、
    今、蕨岡のある遊佐町で働いています。
    御縁を感じます。

    • みいら
    • 2013年 10月 26日 7:44am

    @HiROさん、お久しぶりです。

    そうですか。新しい土地でもご活躍されることを祈念致します。
    私は仕事が立て込んで山に行くのもままならなくなりました。庄内の調べ物は後回しになってしまいました。(^^;;;